痛みに関する所見
- ロルフィングは大変痛いという評判が一般的になっていますが、ロルフィングは痛い、とか痛くないとかで片付けてしまうほど痛みの事を単純に捉えるのは浅はかです。まずは、“ロルフィングは痛いものである”とするための要素を考えてみましょう。
- === ロルファーがかける圧の強さ ===
- 圧の強さといっても、単純には決められません。圧のかけ方、スピード、タイミング、浸透力、持続時間等、広い範囲の圧かピンポイントの圧か、手に力がこもっているのか、身体の使い方で押すのか、急に押されるか、じんわり押されるか、圧が何処まで浸透しているのか、クライアントの吐く息に沿って押すのか、吸いで押すのか、吐いて止めている時か、吸って止めている時か、一瞬の圧か、持続するのか、どの要素をとっても痛いと感じる事も、そうでない場合もあります。牽引して痛い場合もあります。これらに関しては、ロルファーの技術、身体能力、クライアントへの気遣いが問われるところでしょう。
- === クライアント(受け手)の身体的条件、心理的条件 ===
- クライアント自身の身体の状態によって、痛んだ身体や緊張の度合い、又、押される場所によっても痛く感じる度合いは異なります。クライアントの感受性も人それぞれで、何を持って痛いとするか、鈍い人、過敏な人、人それぞれです。クライアントの心の状態も痛みとして感じるかどうかに反映されます。痛みを恐れている場合や、心理的に抵抗のある場合は何をされても痛く感じる準備がすでにあると言わざるを得ません。痛くならないか、痛くならないか、と恐れていると、自分から痛みを探しているようなもので、神経に伝わる刺激がすでに痛みを感じる一歩手前まで高揚していては、ふっと息を吹きかけただけでも痛く感じるでしょう。また、心に痛みを抱えている人は、身体への刺激がさらに引き金になって、心身共の痛みとして感じられる事もあります。
- 逆に痛みの有無にかかわらず、自分が変わるために前向きに捕らえている人は、少々の刺激でも痛みとして捉えないでしょう。刺激の強さを指して痛いという言葉を使うかもしれませんが、それに対する捉えかたが違うのです。サイコロジー・トゥデイ誌がアイダ・ロルフにインタビューした折、彼女は痛みに関して次の様に言っています。“もし、あなたがロルフィングを痛いものだと思い込んでいたなら、痛くなりがちだし、痛くなってしまうに違いありません。しかし、ポジティブな態度で臨むならば、それは痛いかも知れないけれど、それが如何したというの、と言う態度で臨める。それこそが必要な態度なのです。”
- 私には経験できませんが、お産の痛みと似ている様に思えます。自分の子供3人の出産に立ち会って思うに、身体と心の準備しだい、サポートの環境しだい、産み方しだい、で大きく違う感じです。痛いといえば痛いのだけれど、それ以上に喜びが大きい、達成感があるものと言う印象です。もちろんロルフィングと出産を同じに考える事はできませんし、同じような刺激がロルフィングでも与えられると言う事では全くありませんので、誤解のないように。でも、産みの苦しみと産みの喜びは表裏一体であり、新しい自分を生み出すと言う意味で、共通するものもあるかと思います。
- === クライアント(受け手)とのつながり具合
===
- ロルファーの技術やクライアントの心身の条件とは別にクライアントとの信頼関係如何で、痛みの感じ方は変わります。信頼関係が確立されていなければ、痛まなくて良いものでも痛いと感じたり、触れることなく痛みを感じさせる事もあるでしょう。逆に信頼関係があれば、痛みがありそうなものでも、それほど痛まないということもあります。クライアントとロルファーのラポールが在るか無しかで、なすがままに受け入れて我慢しなければいけないと感じるのか、信頼しきってお任せ状態で安心できるのか、フィードバックのやり取りを通して、共同作業を進めるのか、それぞれに痛みの感じ方、捉え方、痛みに対する態度は変わります。
- ======
- 上に挙げた事柄も単純化した捉え方で、それ以外にも、痛みを起こす要因は考えられるでしょうが、とにかく一般的に痛みと言うものを単純に考えすぎていると言う事を言いたかったのです。
- さらに申し上げると、痛いという事の中にも様々な味わいがあるということです。身体的に刺激の強さで痛みとして感じる中にもいろいろな感覚があります。身体的にも痛みにいろんな種類があり、僕の経験からして、痛みを表現する言葉を見つけるのが難しい人がとてもたくさんいます。痛いと言うので、“どんな痛みですか”と聞いてみると、どう表現していいか判らないのです。それは本人の感覚では、痛みに違いがあり、今の痛みは特定の性質であることは明らかであるのに、普段そんな事を意識しないので、表す言葉が見つからないようです。それほど世間一般では、痛みというものを単純に捉えているというか、痛みを避けようとする事の方が先にたって、痛みが伝えんとしているメッセージに耳を傾ける事をしていないのです。身体的に感じる痛みは、身体の状態を知らせるメッセージなのです。それに耳を傾ける事をすれば、身体が修復しようとしている表現なのか、壊れていく事を警戒する知らせなのかぐらいは判るはずなのです。
- 又、痛みと言うのは身体の事の様でありながら多くは心の事でもあります。ある身体の感覚を痛いと感じる心、痛みとして捉えられる感情はたくさんあります。悲しみ、怒り、恐れ、喜びといった単純な言葉で表せる感情からもっと複雑に混ざり合った感情まで、そして、その感情の度合いに応じた異なる色合いが、色んな痛みを表現します。痛みと言うのはそれほど色んな味わいがあるのです。しかし、多くの人は痛みを味わうものとは考えません。しかし、痛みを感じているのは、ほかならぬ自分であり、他の人には味わえないものなのです。自分の内なる世界を豊かにし、自己の地平を広げていこうと思うなら、まずは自分の中にあるものを、おいしく吟味する事が大切ではないかと思います。痛みとして感じるのですから、つらい事の方が多いと思います。つらい事も自分のうちにある味わいです。それは他の味わいを引き立たせる役目も果たします。
- 僕自身は、痛みに関してロルフィングのおかげで味わい方を多少心得たかなぁと思っています。ロルフィングを学ぶためにボルダーに住んでいた頃は、名人と呼ばれる先生方からずいぶんとロルフィングを受けましたが、中には痛すぎて、大げさですけど死ぬ気で受けた事も何度かありました。その先生から受けたワークが一番大きく影響したように思えました。そして、何より痛みと言うものに対する態度を自分の中から探さざるを得なかった
のです。
- 痛みから逃げない、固まらない、抵抗しない、できるだけ心と身体を緩めて、ただ起こっている事に直面する事が、自分の中で痛みと解釈されるものに対して使うエネルギーの方向性を示してくれたのです。逃げる事も、頑なになる事も、抵抗する事も、同じようにエネルギーが消費されます。しかし、痛みから目をそらさず正面から対峙する事が、そうする事によって向けられるエネルギーの方向性が、変容を起こさせたのです。そして、そのエネルギーの方向性の選択は、生活の中のどんな局面に於いても見出され、自分の人生を、自分の道を切り開く力となるのです。
- 痛みに関していろいろ言っておきながら恐縮ですが、最近のロルフィングは一般的に痛みが少なくなっています。技術が向上したと言えるかどうかは別として、世間一般に受け入れやすくなっている事は確かです。味がマイルドになっています。スパイスが足りなくて物足りないと言う人もいるぐらいです(マゾでなくても)。
- 僕の立場は、何が何でも痛くしなければならないというのでも、何が何でも痛くないようにしなければならないというのでもありません。痛みの有無とは関係なく、ただロルフィングと言う変容のプロセスを、あるがままに味わいませんかと言う提案をしたいのです。
-
2006 Chronic Students All Right Reserved