ロルフィングの心理的影響に関する考察
- ロルフィングが心理面に影響すると言う事が言われていますが、その代表的なものはカタルシスでしょう。身体の組織が緊張している所に、何らかの感情が鬱積していると見られ、その緊張がほぐれる事で、その部分に抑圧されていた感情が表出すると言うものです。強いショックによる硬直や慢性的ストレスによる緊張が、そのときの感情と係わっているホルモンやその他の化学物質を身体の緊張部位に滞らせている様にも考えられています。滞っていた物質が解放された刺激で、そのときの記憶が甦ることもあるようです。または、まったく意味のわからないまま、ただ感情だけが流れ出ると言う事もあります。
- どちらにしても、ロルフィングはカタルシスを目的としているのではありません。また、蓄積した感情が表出したからといって、その人の心理的問題が解決すると言うことでもありません。すっきりした感じや、身体を触っただけなのに感情が出たなどと言う驚きで、心が癒されたと思う人もいるでしょう。カタルシスが起こる事で、こころが解放されたり、それをきっかけに、心理的問題の解決に至ることも確かにあると思います。
- ただ残念な事に、感情が解放された=自分が変わった、と言う事にはならないので、身体の緊張が緩んだのとカタルシスをきっかけに、自分が培ってきたからだのパターン(または癖といっても言いでしょう)と、それと呼応する心の癖が抜け落ちないと、時と共に心身的に同じような状態を再び作ってしまいます。
- 身体のパターンは、心のパターンでもあります。こころの在り様が身体を通して表現されているのです。逆に身体の柔軟性を損ねて、身体的な表現のレパートリーが乏しくなると、心理的レパートリーも同様に狭められると言う事も在ります。ただし身体的なものと心理的なものの間には、明らかな比率としての対比があるわけではありません。これだけ身体が緊張して歪んでいる場合は、これだけの感情のしこりがあると言う訳には行かないのです。
- 身体の歪みや緊張の度合いは、その本人の中に於いては感情のしこりの度合いに比例するかも知れませんが、他の人との間でその目安を設定する事はできません。身体の歪みと緊張が大きくても、そうでない人に比べて感情のしこりが少ない事も十分あります。個人の感受性のあり方で、身体と心の相関性の度合いは変わってくるのです。
また、特定の部位に特定の感情が表現されていると言う考え方も、一般的傾向はあるにしても、それが、何時、どのぐらいの期間、どういう出来事が元で(事故や事件であるのか、環境であるのか)、どの様な感情を持って、それに身体がどういう反応を示したかによって、一般化できない個人的な複雑な構造があるはずです。
- たとえば、ある人が恐れを抱いていたとすると、それは身体に表れます。身体は内に向かって小さく自分を守るように、肩をすぼめて人に見つからない様にするか、あるいは全く逆に胸を突き出して威嚇的に、人を寄せ付けないような表現をするか、現れは人によって異なる所で、緊張するからだの部位も異なります。
- どう言う現われであれ、身体の癖としてその姿勢を保っている場合、その人の心の基調に恐れが流れていると言う事です。恐れに対する行動も、防御的であるか、攻撃的であるかは、身体の表現に見合ったものになるでしょう。ある意味、身体が心の色付けをしてしまって、身体の姿勢を辞めない限り心の姿勢も変われないのです。
- もともとは、心の状態の反映であった身体の緊張や弛緩による姿勢が、身体の変化の柔軟性を失う事で、心を虜にしてしまうのです。身体のレパートリーを取り戻さない限り、心の自由は取り戻せません。それは特にショックトラウマやPTSDなどによって交感神経が過剰に興奮した状態のまま、自律神経のバランスを失調している様な時には顕著です。自律神経系の興奮が、自分の中で制御されるようになるまで、心に平静はもどりません。
- もちろん誰にでも心と身体の癖があって、いろんな感情の度合いとその身体的表われによる緊張の分布、その上、重力の中でバランスを保つために身体の各部が、なさなければいけない補いや調整によって身体と心の姿勢が築かれるのです。重力の要素自体が不安や安心といった感情に反映されるので、どういうバランスの取り方をするのかで、心身の安心度が表現されます。ロルフィングでは重力にお任せし、大地に身をゆだね、しっかり地に足をつけつつ、大地に支え上げられているようなバランスを探す事のできる身体の状態を目指しています。
- 心身の姿勢と言うのはある意味それぞれの人の個性でもあるわけですが、身体にしろ、心にしろ、自分で保てないほどにバランスを崩したのでは、個性の域を超えて病的な状態となってしまいます(病的な状態をその人の個性であると言えなくも無いのですが、、、)。それでも、自力で病を経過してバランスを取り戻せる力のあるうちは健康と言えるでしょう。
- 身体に根付いた緊張を解放する事で起こる心のカタルシスは、心と身体のレパートリーを取り戻すための第一歩となり得ます。しかし、感情だけではなく心理的に解決されなければいけない事柄、知的認識を必要とし、頭で納得しなければ身体が緩まないものも在ります。そのような状態に於いては、心理的治療を受けるのが良いかもしれません。
心理的に準備ができていれば、身体は変わりやすいのです。
逆に身体が緩まないと、頭で納得できないという事もあります。全くコインの裏表なんですね。
- ロルフィングがしようとしている事は、ただ身体の緊張をほぐすのではなく、身体全体のバランスを整える事で、身体として物事に対して柔軟に反応できる状態へリセットする事、そして、そのためのニュートラルの状態を見つける事の手助けをすることです。
ニュートラルとは、立つ事や歩く事に関して申し上げていた重力との関係の事です。自分の体重が地面に滞りなく降りていて、それがそのまま身体の支えとなっている状態です。
- いくら身体を整えても完璧な状態になる人はまず観られません。しかし限りなくニュートラルに近づくように発展させる方向へ人生の指標を合わせることはできます。
自分が自分自身の重荷になっていないで、大地に支えられている。その時、心も身体も、その置かれた状況に適切な反応を見つけることができる柔軟性を備えている事でしょう。
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