立ち方に関する考察
- からだは常に変化し続けています。ロルフィングを受けようが、他のワークを受けようが、又は何も受けなくても、からだはその置かれた状況に常に適応し続けています。年を取っていくのも一つの変化です。自分には自覚がないほどゆっくりの変化が継続しているので、いつの間にか姿かたちが変わっています。どういう風に変わるかは、その人の体の遣い方、心の使い方、多くは癖によって方向付けられています。
- 今の自分のからだは、自分が持って生まれた遺伝的傾向を元に、これまで使ってきた結果としての表れなのです。親と似た姿かたちになるのも、こころとからだの遺伝的傾向や、同じ生活環境で似たような食生活を送り、自分の姿に似た親や祖父母を見て育つことが、親に似たあなたの心身の反応パターンの素になります。そのパターンのままに人生を送っていれば、周りからの刺激に対してパターンのままの反応を示し、今の自分の姿かたちに成るべくして成るのです。赤ん坊のときから狼に育てられれば狼に似た人間になり、人間界に復帰すれば徐々に人間らしくなって来る、と言うような事に似ています。
- あるファミリーにはファミリーメンバーに共通した行動パターンであったり、雰囲気であったりするものを持ち、外部から見るとそのファミリー特有の匂いと言うかカラーを感じるものです。こうして無意識のうちに培われてきた自分の姿かたちや、動作、行動を自分で考え、変えることができる年齢になった時、私達は自分が変化していく方向性に対して自分で舵を取ることができ、その事に責任も生じます。もちろん元々もっているものをまったく別物にする訳には行きません。
- ロルフィングの創始者アイダ・ロルフ博士は、“ロルフィングはフォード(一般車)をジャガー(スポーツカー)に変えることはできないが、より良いフォードにすることはできる。”とか、“リチャード・ニクソンをアルバート・シュバイツァーに変えることはできないが、より良いリチャード・ニクソンにすることはできる。”と言うような喩えを使っておりました。自分をまったく別人にすることはできないが、より良い自分にはできると言う意味です。
- 今まで何も考えずに使ってきた自分のからだに目を向け始めた瞬間から、からだに対して新しい方向性を提案する事ができるのです。ロルフィングはからだに対するひとつの提案です。そして、からだのあり方に象徴される心のあり方、生き方への提案でもあります。
- 先にも申し上げた様にからだは常に変化し続けています。その変化の方向性に意識的な、提案をするのです。その提案は、からだに無理のない、負担の少ないあり方や動作を模索するということです。それは、無駄のない、効率的な立ち居振る舞いを心がけると言う事でもあります。
- からだに無理や無駄がないというのは、どういう事かと言いますと、まずは立った時にいらない力が入ってなくて、自分のからだが大地に支えられている状態です。私達は地球上に住む限りからだに重力がつねにかかっています。それは地球上に住むための条件であり契約です。
- 私達の提案は、地球の一員としてもれなく付いてくる力関係(万有引力)のなかで、より条件の良い契約を結ぼうと言うのです。私達は重力をからだの重さとして実感します。しかし、体重計に乗ると同じ重さであっても、重さの実感はからだの中の条件次第で、重くも軽くも感じるのです。からだは重く感じるよりは、軽く感じる方が割りの良い契約だと思いませんか? そのために、まずは力を抜くんです。でも、実際には力を抜くと反って重さを実感してしまいます。からだに力が入っているときは、力の入れ様にもよりますが、体重計では同じ重さなのに自分の重さの実感が、上に持ち上がっていたり、からだの中に縮こまっていたり、どちらにしても地に足が着かない状態です。地に足が着かないと地球の一員としての実感も薄くなるように思えます。中には力を抜いていながら地面から浮いているような達人、超人の類も在るようですが、それは特別契約として、私たち一般人の話をしましょう。
- 先ほどもいったように、力を抜くと重さを実感しやすくなります。しかし、重さの実感と重く負担に感じるのとは同じではありません。重さの実感は、大地に支えられている実感でもあります。それは大地に向かう力の実感であり、常に地面に向かって垂直に感じます。これは私達に真っ直ぐという感覚を提供してくれます。無重力で重さの実感のない宇宙空間では力を抜いて真っ直ぐになる事はないでしょう。宇宙空間に出た事がないので知ったかぶって言いますと、無重力空間では自分自身の中心に重力が向かって丸くなっていくのではないかと思います。
- からだの形が真っ直ぐというよりは、重さの実感がからだを通り抜けて足の裏まで(実際には両足の中間点)真っ直ぐに通る感じを見つけたいのです。一般的に真っ直ぐとされる“きをつけ”の姿勢は我々の考える真っ直ぐとは程遠いのです。“きをつけ”は背中に力が入りすぎているし、からだが反ってしまいます。息を詰めた形なのです。そのまま息を抜き、力を抜けば、重さが腰にのしかかって来ます。そう言う姿勢は、必要のない筋肉の硬直をもたらしたり、一部分に過剰に負担を掛けたりで、大地からのサポートを感じにくいのです。
- 重さの実感が足の裏までじかに通る事と、大地のサポートが、頭のてっぺんまで通る事とは一枚のコインの表裏です。足の裏まで滞りなく重さが伝わる時は、大地の支えが実感できるし、大地にしっかり支えられるためには、足の裏まで重さの流れを一つにする様なからだのまとまり具合を持って、大地に身をゆだねなければなりません。
- 重さの流れが真っ直ぐに通ると、からだは真っ直ぐに伸びた印象を呈します。背筋を伸ばしているのとは違う背骨の湾曲に沿った芯の部分の真っ直ぐさで、弛んでいながら伸びている状態です。大地に身をゆだね、重力によって支えられている、重力の真っ直ぐさです。このときの重さの実感はからだの中心を通っています。自分の重さの実感が、胸からお腹にかけて前面に感じられるか、背中を通して背面に感じられるか、胸から腰へと移って感じられるか、それとも、からだの芯を通って感じられるか、注意して感じてみれば判ります。重さの実感がからだの表面を通らずにからだの中に納まって通るようにからだの各部分を関係付けたいのです。条件がそろえばからだ自身がひとりでにそれを見つけてくれます。むしろ大半はからだが無意識に見つけているバランスに対し、より良い状態を見つけられる為の環境整備を、ロルフィングはサポートしていると考えています。
- では、からだがより良い状態を見つけてくれる環境とはどう言うものでしょう?まずは、先ほどから申し上げている通り不必要な緊張がなく、ニュートラルな状態では力が抜けている事が必要です。からだのある部分に力が入っていたり、怪我で縮んでいたりすると、その周りが引っ張られて、からだは偏りを持ちます。そうすると別の部分が偏った部分を補って全体の重さのバランスを保とうと緊張します。その補いに対して2次的3次的な補いが行われていきます。その結果、最初の偏りに適応した姿勢が出来上がります。
- からだの姿勢は筋骨格系、筋膜系の複雑な相互緊張の分布によって造られています。この相互緊張が、環境や状況の変化に適応できなくなると、そこで見い出されるバランスは、重力に即した形で全体をサポートする様に働かず、各部分の重さが負担になるような関係を持ちます。そのようなバランスはインバランスと呼ばれるべきもので、からだの不均衡を保っている状態です。遅かれ早かれからだが音を上げて壊れて行くバランスの取り方です。それゆえより良いバランスを見つけられる条件ととして、偏った緊張が無い事や、全体として極力不要な緊張をしていない事が、重要になるのです。
- 次に、自分のからだが支えられている有様を感覚できる能力です。二本脚で立っている限り、どういう風にかは、からだを支えているわけですが、重さの実感がからだの中をどう通って、何処にたどり着いているか、足の裏の感覚が目覚めている事も重要な要因です。先ほども申し上げたように重さの実感はからだの中を通り(正確には背骨の前面辺りの感じ)、足の力が抜けていれば、足の裏に満遍なく分散される感じ(もちろん土踏まずは地面についていないのですが、接地感があるというか、土踏まずの下の空気を踏んでいる感じがあると言うか、)です。足の中で強いて一点を捉えれば、くるぶしの真下、内踝と外踝の中間、かかとのすぐ前のところです。そして、両方の足の中間に架空の一点が感じられ、それが絶え間なくバランスを調整している働きによって漂っている感じです。
- 動作に入れば、からだの移動=重さの移動で、その移動の方向性や変化と言った動作の縮図とでも言える様な重さの流れを、足の裏で辿る事ができます。この事を踏まえて、歩くと言う事に関しても僕の考えを別のページで申し上げる事にしましょう。とりあえず、からだがより良い直立のバランスを見つけるための条件として、上に挙げた“できるだけ不要な力が抜けていて、各部分は比較的自由に位置を変えられる事。”“重さの実感を元に各部分を重さの流れに沿わせて一まとめにする事のできる感覚能力。”を意識的に整える事ができれば、あとはからだがひとりでに意識不可能な、反射機能を通して、とても微細で複雑な調整を驚くべき正確さを持って成し遂げてくれるでしょう。
- この事から僕の見るロルフィング(ストラクチュアル・インテグレーション)=身体構造の統合と言う技術は、からだが本来持っている超精密かつ複雑極まりない調整能力を、よりよく発揮させるための大まかな環境調整作業であると考えています。
- もちろん人のからだを、土木作業のように材料を動かして組み立ててと言うような事で語る事はできません。からだを通した表現すべての背後に感情や思考の働きが巡らされています。からだに働きかける事を通して、身体感覚やフィーリングに新しい刺激を与え、それが感情や思考に対していつもの習慣にないオプションを提案するのです。
2006 Chronic Students All Right Reserved