コンティニュアムとは by ゲイル・オルグレン
(2005年10月15日に日本で開催されたワークショップで話された内容)
(文中の日付と数字は編集のためのもので、ワークショップの内容とは関係ありません。)
- コンティニュアムとはなんでしょうか。コンティニュアムとは動きの探求です。動きの探求を通して、生命の動き、私達自身の命の動きを探求していきます。そして私達自身の生命の動きは、私達以外のものとも共鳴しています。
- コンティニュアムの練習にはとても古代的なものがあります。そしてまたそれと同時に近代的なものもあります。人間の歴史の中には、例えば仏陀と呼ばれる人の話があります。彼は私達がたどれる歴史の中に存在していたわけですが、彼は、彼の感情的な危機を迎えた時に、スピリチュアルな探求が始まりました。
- 言い伝えによると、彼はある日の朝、周りを見渡し、人生は痛みに満ちあふれ、意味のないものだと感じました。そして彼の国では生まれ変わることを信じていたので、痛みや、意味のなさというものが、ずっと永遠に続くものだと感じました。しかし、その人生の牢獄から抜ける道があるはずだと考えました。そして、その抜け方は私達の中にあると考えました。
- 彼自身が探求していくために必要だと感じたことは、まず彼の家族や、文化からの期待、そういったものから離れるということでした。彼は、私達がこの時、この場にいるということは、ある意味催眠状態にあると思ったそうです。家族や、文化に合うように行動していくということは、ある意味、他の人達の、自分に対する期待にそって、生きていくということです。自分自身の中に入って探していくということは日常の生活を置いていかなくてはなりません。
- 彼は彼の中に平和を見いだせる場所があることに気がつきました。その場所が見つけられた時、彼に取っては、人生が意味のあるものになりました。
- この静かな場所に探求を続けていくうちに、彼の中には、ちょっと違った自分が待っているということに気がつきました。それはパーソナリティという自分ではなくて、魂の感覚の自分というものでした。そして、この魂の自分というのは、すべての世界にとても共鳴している自分でした。それはまるで透明な湖か、透明な鏡のようだと感じました。そしてまた、その静かでクリアな場所から、人生の美しさを反映させることができました。それはクリアな鏡がお花を映し出すようなものです。
- 彼はその場所から痛みに満ちあふれた人生の仕組みについて見つけることができたそうです。それは人生の痛みを通して、彼自身を失ってしまったということです。痛みによって、他のものや人生から切り離されてしまっているということに気がつかされたそうです。
- または、他の言い方もできると思いますが、私達が自分自身から分離してしまった時、または周りの人達から分離されてしまったように感じている時、または私達の人生の優しくて甘い、生物的なサポートから分離されてしまったと感じる時、そういった時に私達は痛みを感じます
- しかしこの痛みが、同時に私達に勇気も与えてくれます。未知の部分に踏み込んでいく勇気を与えてくれます。(1100)
- 未知、つまり知らないということの根底には、常に死への恐怖が横たわっています。そして、恐れは、動きを止めてしまいます。
- パーソナリティというパターンの中からのみ見たり聞いたりする代わりに、どうすれば、この瞬間を生きるための勇気を持てるかということを探求していきます。この瞬間を生きていくための勇気を持つためには、パーソナリティの構造を溶かすことが要求されます。
- パーソナリティは、恐怖や悲しみから身を守ろうとしながら発達していきます。パーソナリティの一部として、そうした深い感覚を感じないようにしておく部分があります。心理学が発達する以前の時代から、パーソナリティの殻を溶かすという作業はある種の抵抗をもたらしています。
- さて、自分自身が静かでオープンで、とても瞑想的な状態にたどり着いたときにかぎって、お腹がすいたとか、なんだか落ち着かなくなったりとか、となりの部屋のなにかが気になってしょうがないとか、そういう衝動を感じ始めることがあります。そして、それはヨガの始まりでもあります。(1349)
- ヨガという言葉の始まりは「ヨーク」という言葉から発生したそうですが、ヨークとは英語では野生の動物をしつけるとか、制限をもたらすという意味に使われます。ヨガとは、動物的な体の衝動を支配することを目指しました。オリジナルのヨガ行者は食べ物を断ったり、睡眠を断ったり、SEXをしなかったり、じっと座り続けることにより、動きを断ったり、呼吸をコントロールし、支配しようとします。
- コンティニュアムでは、仏教とかメディテーションといったものと似たようなものを探求していきますが、ただ、体を支配するというよりは、体の動きたいという衝動に乗るということをしていきます。体の感覚を押さえつけるのではなくで、それを招くということをします。そしてコンティニュアムの体の探求は、人間以前にまでさかのぼります。
- すべての生命体というものは、遊びとかダンスというようなものから発生しています。(1647)
- 例えばそれは、液体同士のダンスであったり、水と空気の交換だったり、いろいろな要素の継続した交換だったり、そして、このダンスは常に開かれていってます。それぞれが情報を与え、そして、常に変容しています。私たちが人生に生命をもたらされるのと同様に、また、私たちが子宮の中で命を与えられるのと同様に、私たちも子宮の中の液体の交換によって形作られています。胎盤が液体に出会う所の対流によって体が形作られています。子宮の中で液体が壁に当たって、戻っていくという、そういう流れの中で、私たち自身の液体にあたることで、私たちが形作られています。
- 動きの探求に入っていく時、私たちは私たちの直線的な動きのパターンを後ろにおいていきます。例えばお買い物バックを運んでいる時のパターンを後ろに置いていくし、コンピュータの前に座っている時のパターンも後ろに置いていきますし、洗濯する時のパターンも置いていきますし、そうすることにより、私たちはもっと、人生における最も大きな振る舞いである、体の動きの中に入っていきます。
- 少し考えてみてください。私たちは両親から生まれ、その両親はまたその両親から生まれ、そのまた両親も、そして、その始まりの時にまでさかのぼって・・・。あなたはその生命自身の連続した表現の中で、現在という一コマに位置しています。私たちは体の中にこの地球が持っているのと同じ割合の塩水を持っています。私たちの惑星と同じ割合の甘い水も持っています。それは本当に大きいマクロコスモスの中のミクロコスモスです。私たちは、陸地に水を持ってあがりました。
- コンティニュアムは「時間」に対する挑戦もし続けています。仏陀の時代には自然と調和して生きていかねばなりませんでした。彼らの生存はそれに依存していました。そして、とても地球のそばで生きていました。しかし今、私たちと地球の地面との間には、とてもたくさんの層が存在しています。ほんとに地面から離れています。椅子があって、床があって、コンクリートがあって、地面にたどり着くまでにすごくたくさんの層があります。私たちは、私たちの生存の中で、自然とあまりかかわりを持たなくなってきています。
- 私たちは10年ぐらい前に始まった、エレクトロニクスや、コンピュータといった、時代の中に生きていますが、それは生物的にとても私たちに影響を与えています。それは今までにないぐらい、とても広い地域の人間とつながることができるという技術でもありますが、と同時に、それらのバイブレーションは有機的なバイブレーションとは違って、とても早いものです。私たちは電気の照明によって作られたバイブレーションのフィールドにいます。電気のサイクルは60ヘルツ(1秒間に60回の振動)です。それに対して体の持つバイブレーション、骨や組織、血液の持つバイブレーションは1分間に4から12の振動だと言われています(クラニオセイクラル等参照)。私たちが部屋にいて、そういった機械と関係を持つということは、その機械のバイブレーションに共鳴するということです。
- 私たちは間違いなく、私たちの生活がスピードアップしたと感じますが、それはオーガニックな有機体の体にとってはとても問題でもあります。機械とずっと一緒に部屋にいることで、私たちは、体をロックしてしまいます。ほんとに早いスピードで進んでいる時は感じるということができません。例えばリラックスした状態で歩いている時には、なにが感じられるか、そのペースの時にどれぐらいの細かいところにまで目を向けることができるか。例えば特急に乗っている時に、どれぐらいまで細かいところに目を向けることができるか。(2737)。それは私たちの体の中のセンセーションにも同じことが言えます。スピードに乗っている時は効率的ではありますが、でも体は体に対して麻痺してしまいます。
- さて、今日の私たちの第一歩としてスローダウンということを使います。スローダウン、あなたの体はあなたとどんなコミュニケーションを取りたがっているかについて、時間を持つということです。(2837)
- 最初に紹介したいのはコンティニュアムでオープンアテンションと呼ばれている物です。